たんぽぽコラム

在宅医療の質を高める

著者:永井康徳

  

第44回 医療を最小限にすると口から食べられる

イサオさん(仮名)は88歳。建築関係の会社を定年退職後は息子さん夫婦と同居し、奥さんと趣味の植木や花づくりを楽しみながら平穏に暮らしていました。イサオさんは元来健康でしたが、加齢とともに認知症の症状が出始めました。徐々に日常生活にも支障が出てきたのですが、病院嫌いのイサオさんは受診を拒否していました。唯一食べることが楽しみでしたが、やがて寝たきりになってしまったのです。
ある日、発熱と呼吸困難のため急性期病院に入院、誤嚥性肺炎を発症しました。肺炎の治療方針は絶食と点滴でした。症状が落ち着いた後も絶食は解除されず、鼻からのチューブ(経鼻栄養チューブ)を入れて栄養をとることになりました。イサオさんはこのチューブの違和感が我慢できず、何度も自分でチューブを抜去してしまいます。すると命を守るためイサオさんの両手はミトンで拘束されました。唾液や痰はさらに増え、イサオさんは2−3時間おきに吸引が必要な状態となったのです。高齢者が誤嚥性肺炎になると、急性期病院ではたいていこのような経過をたどります。このような状態で、イサオさんは当院「たんぽぽのおうち」に転院してこられました。

入院して間もなく、当院の主治医はご家族に次のような話をしました。「経鼻チューブから栄養が入っていると、イサオさんの食べる意欲はなかなか回復しません。鼻からのチューブはご本人にとっては違和感があり、飲み込みにも支障をきたし、誤嚥のリスクも高くなります。嚥下機能の検査をして、少しでも食べられると評価できたら、一旦経鼻チューブを抜いて食欲が戻るのを待ってみましょう」、主治医のこの提案にご家族は納得されました。
その後、イサオさんの部屋へ行くと、イサオさんは既にちゃっかりチューブを抜いて、ぶらぶらと揺らしながら満足げな表情でした。主治医は「やはり、イサオさんもチューブは望んでいないようですね」と言って一緒に笑いました。数日後の嚥下機能検査では、とろみ水や全粥程度のものならば問題なく飲み込めることが分かりました。管理栄養士や言語聴覚士らと検討し、検査翌日から全粥とムース食で食事を開始したところ、毎食全量摂取できるようになったのです。理学療法士によるリハビリにより、自力で座れる時間も長くなり、イサオさんの方から職員に話しかけるようにもなりました。認知症のために話がかみ合わないことがあっても、イサオさんは笑顔で過ごしていました。約1ヶ月後、おいしく食事をとり元気を取り戻したイサオさんは自宅へ帰って行きました。

誤嚥性肺炎の治療を受ける高齢の方は多いですが、絶飲食の状態から適切な時期に嚥下機能評価を行い、良いタイミングを逃さずに食べる訓練を始めなければ、大切な食べる楽しみを絶たれたまま残りの人生を終えてしまうこととなります。終末期には医療を最小限にし、点滴や経管栄養だけに頼らずに、本人の食べる意欲を引き出す方法を多職種と恊働して見つけ出すことが大切です。終末期の食支援のあり方、そして何よりも口から食べる幸せをイサオさんは教えてくれました。

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