著者:永井康徳
「ピンポーン」まだ辺りも暗い午前五時過ぎ、南予にあるたんぽぽ俵津診療所に隣接する医師住宅の呼び鈴が鳴りました。
玄関まで行ってみると、ドアの向こうで懐中電灯の光と人影が見えます。
ドアを開けると、「先生…」と、いつも診療所に来る男性が白い発砲スチロールの箱を持って立っていました。「先生、今日はこんまい鯛じゃ!」そう言われて蓋を開けてみると大きな鯛が一匹と生きた蛸が動いています。「すごい大きな鯛と蛸ですね!」と私の驚いた声に、その人は得意顔でした。
夜明け前、私が宿直を終えて松山へ出発する前に、釣れたての魚を届けようと、なんと午前三時頃から漁に出かけていたのだとか。この深い心遣いに、彼の人となりと生き様を感じ、頭の下がる思いでした。
彼は91歳の現役漁師です。私の外来受診時は、必ず一番に診察室にやってきます。20年以上前、私が国保診療所の所長だった頃は、民生委員として地域住民のお世話をする面倒見のよい人で、長年務めた功績を讃えられて叙勲を受け、地元の漁師さん達からは今でもレジェンドとして尊敬されています。大きな鯛と蛸を車に乗せ、松山に帰る道中、地域の方が診療所に寄せる信頼と感謝の念を感じ、身の引き締まる思いでした。
地域医療の分野では患者さんの生き方を知ることはとても大切です。「病気」を診るのではなく、「ヒト」を診るのです。
延命治療をするのかどうかといった重大な意思決定支援は診察室での患者さんの姿しか見ていなかったら、難しいかもしれません。
延命治療の選択だけではありません。老衰で食べられなくなった時に胃ろうを造るのか、それとも口から食べられる分だけを食べて、自然に看ていくのか。認知症などで本人が意思を表明できない場合はどうすればよいのか。それらの答えはすべて、患者さんとの日常の関わりの中にありました。
患者さんが一人の人として、今までどう生きてきて、これからどう生きていくのか。それぞれが持つ大切な思いや生き方を、その人の日々の暮らしを通して知るのです。その人の人生観や価値観に思いを馳せ、重大な意思決定の際にとことん寄り添うことができます。
多死社会を迎え、医療にはただ「治す」だけでなく、人生を最期まで支え続ける役割が求められています。
その「支える医療」の実現のためには、患者さんが元気なうちから関わり、病気だけではなく、そのヒトの背景にある生活、家族、地域をみて、その人にとってのかけがえのない人生の最善の選択を、医療者も一緒になって考えていく必要があるのではないかと思うのです。