著者:永井康徳
イノベーションとは、新しい技術の発明や発見のことをいうと考えられがちですが、それにとどまらず、社会的に影響を与え、それまでの意義や価値観さえも変えてしまう新しいアイデアのことをいいます。そういった意味で、在宅医療は医療界におけるイノベーションなのだと私は考えています。超高齢社会、そして今後迎える多死社会において本質となる価値を、日本の在宅医療はすでに示しているからです。
日本の現代医学は「治すこと」を目指して発展してきました。しかし、多死社会の意味するものは「治せる疾病は治し、疾病による死亡率を下げてきた。今後、多くの人は老衰で亡くなる、つまり寿命が尽きて亡くなる」ということです。在宅医療の対象者は、治らない病気や障がいを抱えた人です。「治すこと」を目標にしていないのです。
では、そんな在宅医療の目標はというと、「患者さんがその人らしく、よりよく生きることを支える」こと。私はよく医療機器メーカーから「在宅医療で必要な医療機器を開発したい」と相談を受けるのですが、在宅医療には高度な医療機器はあまり必要ではありません。医療機器や薬で患者を診るのではなく、医師は人として、患者さんの人生に関わっていくことが必要なのです。
そのためにも、医師をはじめ、患者も家族も死から目を背けないことです。「どう生きるか」は「どう死ぬのか」を問うことでもあります。歳をとって衰弱し、死へと向かう過程で食べられなくなったら、「自分は」どうしたいのか。点滴で栄養補給を死ぬまで続けるのか、食べられるだけ食べて亡くなっていくのか。「自分は」延命治療は受けたいのか、受けたくないのか。最期まで病と闘って死にたいのか、寿命が多少短くなっても、やりたいように楽なように過ごしていきたいのか・・・。
治すことが医師の本分故に患者の死は敗北と考える医師と、家族の死は忌避したい患者家族との双方の思いの結果、現代日本人が避けていた「死ぬということ」に、正面から向き合う必要があるのです。そして、「自分の死の在り方」を他人任せにせず、病院や家族の都合ではなく、自分の意思で選択していくことが重要になってくるでしょう。障がいなどで本人が意思を表明できない場合も、家族は自分たちの思いではなく、「この人が意思を表明できれば、何というだろう」と患者本人の立場で選択をする、患者本人の人生を本人の意思で決めていくことが大切になっていきます。
質の高い在宅医療が普及した地域では、患者さんが亡くなる最期のその日まで住み慣れた場所で過ごせるよう、地域内で患者本位を貫ける多職種でのチームを作り、病気だけではなく、人、生活、家族、生き方、地域をみる医療と介護を提供して、患者本人が自分らしく生きることを支援する地域となるはずで、これこそ地域包括ケアシステムの理想的な姿だと思います。
マイナス面ばかり強調される少子高齢化ですが、それによって起こる医療の価値観の転換は意外にも、自分の生き方と死に方に真剣に向き合うことから生まれる豊かな人生や、つながりを取り戻す地域社会を創出する転機となりうると私は信じているのです。そして、このinnovationが、日本を追って超高齢社会に突入する諸外国にも良い影響を与えるはずだと確信しています。