著者:永井康徳
日本では医療や社会が発展したおかげで寿命が延び、『人生100年時代』と言われるまでになりました。人類がまだ誰も経験したことがない、長い長い老後です。数年後には「3人に1人が高齢者」となる超高齢社会。最期の日までどのように生き、どのように逝くのか?モデルとなる人もいない中で多くの高齢者が悩み、不安を感じています。
では、自分の暮らす地域が『治らない病気があっても、障がいがあっても、住み慣れた家や環境で自分らしく生きていける場所』になればどうでしょう?高齢者の悩みや不安は減り、安心して最期の日まで生きていけるのではないでしょうか。
このような理想的な社会をつくるため、国は「地域包括ケアシステム」を各地域に構築しようと取り組んでいます。しかし、システム構築だけでは何も成立しません。主人公である住民自身が、どのような最期を迎えたいのかという、生き方の指針を持たなければ「自分らしく生きる」ことはできないのです。
介護が必要になったり、余命が1年もないような状態になった場合は、特に大変です。どのような選択肢があり、その選択肢を選んだらどうなるのか・・・?何を基準にして、どうやって選んだらいいのか・・・?状況が変わってから慌てて選択するよりも、元気な頃から少しずつ考えていく方が、自分がどうしたいのかを落ち着いて考えられそうですね。
このように自分がどう生きて、どう逝くのかを住民一人ひとりがじっくりと考え、その人にとっての最善の方向性を選択できるように、医療や介護の専門職がサポートしていく。それが意思決定支援なのです。
2018年3月厚生労働省から「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」の改訂が発表されました。アドバンス・ケア・プランニング(ACP)の概念を踏まえ、「心身の状態の変化等に応じて、本人の意思は変化しうるものであり、医療・ケアの方針や、どのような生き方を望むか等を、日頃から繰り返し話し合うこと」と記されています。また、この改訂でガイドラインの名称も変わり、「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」となり、支援を行う「医療・ケアチーム」の対象に介護従事者が含まれることも明確化されました。
求められる支援内容が高度になる一方で、医療従事者も介護専門職も意思決定支援について学ぶ機会は少なく、手探りで支援を行わなければならないのが現状です。
超高齢社会から多死社会へと進みつつある日本において、私は次の3つの変革が日本の医療に必要だと考え、20年間たんぽぽクリニックで実践してきました。
①治し続けた末の死ではなく、治せない病気や死、老化に向き合っていくこと。
②医療従事者は、病院での看取りだけでなく、住み慣れた自宅での看取りの選択肢があることを患者さんやご家族、一般の方々にも伝えていくこと。
③ご家族や医療従事者だけで方針を決めるのではなく、患者さん本人の生き方にしっかり向き合う医療を提供すること。
多死社会が意味するもの、それは医療だけではどうにも解決できない「寿命」の問題なのです。多死社会においては、医学がどんなに発達しても治せない病や症状があり、そこで求められるのは、「人は必ず死ぬ」ということを念頭に置いて、老いや死にしっかりと向き合っていく医療であると思います。
現在、私たちの在宅医療クリニックに病院から紹介されてくるがん患者さんの半分は、十分な告知を受けていません。医療者自身が、患者さんの病気が治らないことやその死に向き合っていないのです。高齢の患者さんは、誤嚥性肺炎を起こすと絶食となり、点滴や注入などの人工栄養を受け、痰の吸引をしたり、点滴の自己抜去を防ぐために拘束されたりして、病院で亡くなっていきます。そこでは本人にとっての最善はあまり考慮されることなく、ご家族と医療従事者で意思決定がされていきます。
今後、治らない病や老化で亡くなる方が増える多死社会を迎えますが、皆が亡くなる最期まで治療することを望んでいるのでしょうか?治すことは追求しながらも、たとえ治せなくても本人が望む療養を選択できる医療の提供が求められるのではないでしょうか。本人が意思表示できるのなら、人生の主人公である本人の意思を尊重し、意思が表明できない場合は、本人にとってできる限り最善であろう選択を、ご家族と医療・ケアチームが何度も悩みながら導き出していくことが「意思決定支援」の重要な過程であると思います。