たんぽぽコラム

おうちでの看取り

著者:永井康徳

  

第42回 気持ちの揺れを許容しながら、納得できる選択肢を

思ったことは即実践、活気溢れる患者さん
「また食べ過ぎてしまいました」。少年のような笑顔で外来に現れたテルヨシさん(79歳、仮名)。直腸癌の手術後、抗がん剤治療が合わず、自宅加療を希望され当院の外来を受診するようになった患者さんです。食べることやお酒が大好きで、ついつい食べ過ぎてしまい、当院受診前には腸閉塞を2回発症、入退院を繰り返していました。癌は腹膜への転移もあり、食べ過ぎたり消化の悪いものを食べたりすると、腸閉塞を起こしやすい状態だったのです。お酒を飲んで気が大きくなるのか、「ご飯がおいしくて食べ過ぎてしまうんですよ」と初診時に笑いながら話してくれました。同居する奥さんと娘さんは「注意してもまったく聞いてくれない」と呆れ顔も、家族3人での生活が楽しく充実している様子が垣間見えたのでした。私からも、食べる量に気をつけよく咀嚼して食べること、お酒は飲んでもいいので深酒に注意するよう、外来受診のたびに伝えましたが、その後も何度か腸閉塞を発症してしまったのです。

グルメ・お酒を楽しむだけでなく、もう辞める予定だと言いながらも建設業を営んだり、愛車のスポーツカーを運転して大好きな温泉に出かけたりと、アクティブな生活をされていました。また、独自の治療法を見つけては試してみたり、身体に良さそうだと見聞きしたことは即実践したりと活気に溢れ、常に思った方向へ突き進むテルヨシさん。身体に害があることであればやめるように私も伝えるところですが、本人がすることを無理に止めることはできませんし、それが生きがいとなっていることも理解できるので、「しんどかったらやめてくださいね」とだけ伝えると、満面の笑みで応えてくれるテルヨシさんの姿がありました。

テルヨシさんによく似た考えを持つのが、娘さん。自宅で自営業を営みながら父の仕事のサポートを行い、憎まれ口をたたきながらも、テルヨシさんとはよいコンビで、外来受診時には漫才のような掛け合いに思わず笑ってしまうこともありました。一方、奥さんは、私の書籍を読んで当院への受診を希望されたこともあり、私が「亡くなるまでどう生きるか一緒に考えていきましょう」とお伝えしたところ、「本人が楽なのが一番で、できるだけ自宅で看たい」と今後のことを冷静に考えていらっしゃいました。
似たもの親子と、2人をしっかり支える奥さん。3人で過ごす賑やかで楽しい時間が少しでも長く続けば…と願わずにはいられませんでした。

貫く想いと揺れ動く気持ち
次第に腹痛を訴えることが増え、腹膜播種の増悪が認められました。急性期病院での治療の手立てはなく、絶食のまま自宅へ戻り在宅医療へと移行することが決まりました。
腸閉塞再発を防ぐため、水分や栄養剤を中心に摂り、固形物であればおかゆなど消化に良いものを食べるよう懇々と説明したものの、少し調子が良くなると好きなものを食べ過ぎてしまい、腹痛と吐き気の症状を繰り返し、つらい時間が増えていったのです。診療に伺うと、症状が思わしくない状態にもかかわらず、ベッド上で友人と一緒に少量のお酒を飲み交わす、嬉しそうなテルヨシさんの姿がありました。どんなにつらい状況にあっても、食べること、お酒を楽しむことを貫き、それが療養生活の支えとなっていることが見て取れたのでした。
「車の運転ができなくなるから」と、医療用麻薬を拒否してきたテルヨシさんでしたが、増大する痛みに耐えきれず、使用を開始。腹部膨満、浮腫みも日ごとに増し、残された時間が間近に迫っていることは明らかでした。

そんな中、「このままでは、栄養状態が低下して体力も落ちる。何とかせねば」と、テルヨシさんから高カロリー輸液の投与を希望する連絡が入りました。テルヨシさんの体は、1000mlの末梢輸液を入れると逆流し、栄養や水分をもう処理できない状態です。高カロリー輸液を入れたとしても、浮腫みや胸水・腹水が出現し、痰も増えてかえって苦しくなります。本人の希望であっても高カロリー輸液は入れるべきでないと私は考えましたが、翌朝の全体ミーティングの議題に挙げ、スタッフ達に意見を求めました。A医師からは「浮腫みが出てお腹が全く動いていない段階にあり、高カロリー輸液を入れたとしてもメリットがない」、B医師からは「ご本人や娘さんの性格を考えると、試さずして納得できるかどうかは疑問」、C医師からは「できればやらないほうが本人のため」との意見が出され、テルヨシさんが納得するためには輸液を試してみることも一案でしたが、本人にとってメリットがないことは総意でした。輸液を入れて良い状態が続くのであれば、もちろんその選択をするのですが、テルヨシさんの身体はそういう段階にはないのです。これまでテルヨシさんは、自分が思うように突き進み、痛みが出ることがわかっていても「食べること・お酒を飲むこと」に喜びを感じていました。メリットがないと思われる高カロリー輸液を入れることで、かえって身体の負担となり、テルヨシさんの最大の楽しみを奪ってしまうことは明白でした。
スタッフ達の意見と、テルヨシさんやご家族の想い・価値観をあらためて整理したとき、「輸液を試してみるという選択を提示することは、本人のためではない」と私自身も覚悟を持って、テルヨシさんとご家族との話し合いに臨んだのです。

揺れる気持ちを許容し納得した先に
ご自宅へ伺ったときのテルヨシさんの状態は、鼻からチューブを入れているおかげで、腹痛はなく、かき氷、スイカ、ビールなどの水分を摂取できており、比較的穏やかに過ごされていました。しかし、腹部は緊満し、メタリック音も聴かれ、腸閉塞の状態に変わりはありません。このような状態では、身体で処理できない過剰な栄養や水分を入れてもしんどさが増すこと、大好きなビールを口から摂取できている現状が、本人にとっては最も楽でよい時間ではないかと改めてお話ししました。テルヨシさんには迷いがあるようでしたが、奥さんは一貫して本人が楽であることを最優先に考えており、高カロリー輸液には反対の立場でした。私の説明を静かに聞いていた奥さんは、テルヨシさんに「以前点滴を1000mlしたときに浮腫みがひどくなったことがありましたね。今までどおり点滴を500ml入れてもらい、好きなものを食べたり飲んだりしませんか」と語りかけました。「テルヨシさんを楽に過ごさせてあげたい」という奥さんの心からの思いが伝わったのでしょう、テルヨシさんと娘さんも納得し、高カロリー輸液は入れないとの決断に至りました。

それから1か月後、テルヨシさんはご家族に見守られ穏やかに旅立たれました。飲みたいときには大好きなビールを口にし、旅立つ前日にはテルヨシさんこだわりの大きなベッドに親子3人川の字で寝て、よい時間を過ごされたそうです。
病気は治らないと理解はしていても、体調が良くなればやはり治るのではないかと期待するのは当然のことですが、そうではないことをきちんと説明すべきだと私は思っています。病気が治らないことを受けとめたうえで、体調が変化し気持ちが揺れるたびに、患者さんが選び得るあらゆる選択肢と、それを選択した場合のメリットやデメリットをその都度説明するのです。そして、本人やご家族と一緒に私たち医療従事者もとことん悩みながら伴走するのです。本人の想いや本人が楽であることを最優先に、本人やご家族がそれぞれの考えを許容し選択した答えは、納得できる看取りに限りなく近づくのではないでしょうか。

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