著者:永井康徳
初診で主治医交代になった理由
トオルさん(仮名/70歳)は、初回の訪問診療直後にワケあって主治医交代となりました。今までもさまざまな患者さんがいらっしゃいましたが、初診直後に主治医が交代するというのはなかなか稀なケースです。
末期の膵臓ガンだったトオルさんは初診時、訪問した医師に次のように尋ねました。「先生は、私が通院している病院のように病気を治そうと思っているのですか?それとも終末期の医療を行おうとしているのですか?」と。この明確な問いに対して、若い主治医は「終末期です。緩和医療がメインになります」と答えたのですが、このことに本人、ご家族ともに大変なショックを受けられたようで、主治医は帰り際に「このままだと訪問診療を受け続ける自信がない」とご家族から言われたのでした。
「クリニックに帰って相談します」と答えた主治医は帰院後、ミーティングで相談しました。紹介元の病院からの申し送りには、はっきりと「治療は困難」「緩和治療目的で在宅移行」とあり、主治医が決して嘘を伝えたわけではありませんでした。それでも、ご家族の不安や不満を軽減させるには、主治医交代もやむなしということになり、Y医師が主治医を務める方向でトオルさんとご家族に了承を得ました。
紹介元病院の地域医療連携室にもこの経緯を報告しました。すると、担当者から「トオルさんは医師より『治療法はもうない』と告げられていましたが、本人もご家族も『それでもなんとか治療をしてほしい』とお願いしました。しかし、医師も『できません』とはっきりとは言えずに『血液検査の数値が良くなったら、もしかしたら治療再開も可能かもしれません』と答え、トオルさんもご家族も治療に希望を持ってしまったのかもしれない」と言われたのです。
終末期であっても告知されないまま退院し、死に向き合うことなく在宅医療に移行するケースは多くあります。そのため、私たちは日々、本人やご家族が死に向きあえるように支援しています。最初の主治医もそう考えたに違いありません。しかし、まったく死に向き合えていない状態で、終末期や緩和ケアの話をしても、患者さんは納得どころか、反発することさえあるのです。
初診での出来事から「性急にことを運ぼうとしてはいけない」と考えたY医師は、最初の訪問では一言も「終末期」や「緩和ケア」という言葉を使いませんでした。ただ、「痛みやだるさを取るためには医療用麻薬の使用は必須だ」ということをとことん説明したのです。なぜかというと、トオルさんは実母が終末期にモルヒネを使用し、その副作用でとても苦しんだことや、ご家族に「医療用麻薬は最期に使う薬」という認識があったために初診で医師が提案しても、「使わない」とキッパリと断っていたのです。
しかし、トオルさんの痛みやだるさは、今後ますますひどくなるのは明白です。それに痛みやだるさが強くなると、在宅療養の継続自体が困難になります。そのため、医療用麻薬は危険な薬でもなく、最期に使う薬でもないことやWHOのガイドラインにより世界的に規格化されて安全に使用できる薬剤であること、ガンの痛みに対して最も効果的な薬であること等、安全性と必要性の根拠を説明すると、トオルさんも納得され「必要になったら使う」と言われたのでした。
医療用麻薬の使用に納得されたとはいえ、「自分は終末期である」と受け入れた様子はなかったため、他の医師や看護師が訪問した時も特にそのことに触れないようにしていました。そして、病院の受診予約日が来ても体調がすぐれずに受診を延期したり、痛みが一晩中続いたりして、初診から10日が過ぎた頃には医療用麻薬を使うようになりました。さらに5日後には腸閉塞を起こして紹介元の病院に入院することになったのです。
入院で悟った自身の状態
Y医師は「この入院でトオルさんの意識が変わったようだ」と言います。なぜなら、膵臓ガンである自分が入院しても、ガンに対する治療は何もなされず、ただ、絶食と腸閉塞を予防する漢方薬を出されただけで、腸閉塞が回復したら退院となってしまったからです。誰からも何も説明はされませんでしたが、「自分の病気は、もう治療ができない状態なのだ」と悟り、腹を括ったのでしょう。
退院して訪問診療が再開し、Y医師が訪れた時にトオルさんは「腹部に強い圧迫感があり、自分の体でないようだ」と話しました。「病院でできることはないです」と医師が話すと、「そうですよね・・・」と納得された様子のトオルさんにY医師は「緩和ケアに移行せざるを得ないですよ」と、ついに「緩和ケア」という言葉を使ったのです。するとトオルさんも「お腹が楽になるのなら」と受け入れ、その様子を見ていたご家族も緩和ケアを受け入れたのでした。
その翌日のことです。Y医師が訪問すると「来週、病院に受診の予約を入れているが、自分は終末期だからもう受診はやめる。たんぽぽさんでお世話になりたい」と涙ながらに話されたのでした。そして、「お世話になった病院の先生にお礼の電話をしようと思うが、いいでしょうか?」と聞かれたのです。Y医師は「いいと思いますよ」と答えながら、「トオルさんが自分の死に向き合えた」と思ったそうです。そして、20日後、トオルさんは自宅で息を引きとりました。
トオルさんは、妻と4人の子どもたちとその配偶者、そして小さな孫たち、実弟など大勢の家族に見守られながら旅立ちました。一家の大黒柱として家族を守り、慕われてきたトオルさんの人生を垣間見るような最期だったと死亡診断に訪れたY医師は感じたそうです。
「患者に向き合う」とは
この連載では、「後悔のない看取りをするためにも、患者は自分が限られた命であることや死に向き合うことが大事だ」ということを何度となくお話ししてきました。しかし、死に向き合うのは患者本人です。「それがどれほど大変なことなのかを、トオルさんを通して学んだ」とY医師は言います。実はY医師は大ベテランの在宅医で、数えきれないほど多くの患者さんを看取っています。困難事例と言われる患者さんとも上手に付き合い、看取ってきました。
そんなY医師に「もし、トオルさんが最後まで死に向き合えなかったら、どこかで死に向き合えるように促したか?」と尋ねると、「促さない。本人の価値観なので、そのまま対応したと思う」と言われました。「ただ、体は衰えてしんどさは増していくので、その時々で相手が欲する言葉を出していくかな」と。そして、「死に向き合えないままだと悲惨な最期になるので、できれば避けたいが、それが本人が示す意思なので、捻じ曲げてはいけない。捻じ曲げたらややこしいことになる。対応するこちら側はしんどいけれども、それでいく。自分が患者だったら、自分の意思を通させろと思うので、自分はそうしたい」とも言われました。
トオルさんが医療用麻薬に対して抱えていた先入観や、最初の医師とのコミュニケーションの齟齬が、本人には大きな影響を与えたと思います。特に、最初の主治医が伝えた「終末期」という言葉が、患者さんとその家族にショックを与え、結果的に主治医の交代に至ったと思います。しかし、決して、最初の主治医の対応が悪いわけではないので、患者一人一人の気持ちに寄り添うことの難しさを改めて感じました。
終末期の患者が「死に向き合うこと」は本人のためにも大変重要なことです。しかし、それ以前に私たちは、目の前にいる患者さんに向き合い、患者さんの「今の意思」に寄り添うことを大切にしなければならないと、トオルさんとY医師との対話から学んだのでした。