たんぽぽコラム

おうちでの看取り

著者:永井康徳

  

第36回 言葉は患者・家族の人生を左右する。安心させる伝え方とは?

入院中の患者さんが「家に帰ろう」と決心したり、「家に連れて帰って看取ろう」とご家族が決心するためには、何が必要だと思いますか?それは「安心感」だと私は考えています。
医療従事者が常駐して設備も揃った病院は、患者さんにとって何の不安もない場所です。そこを出て家で過ごすとなると「何かあった時、誰が診てくれるのか?」「医療機器はどうするのか?」「家族だけで大丈夫か?」といった心配が尽きません。そして、「帰りたいけれど、やっぱり無理だ」と諦めてしまうのです。
「家に帰りたいけれど、不安」という患者さんやご家族がいれば、その不安をどうやって払拭するのかが、在宅医療のプロとしての腕の見せ所です。どのような伝え方をすれば、患者さんやご家族が安心して「家に帰ろう」と決心するのか、今回のケースで考えていただければと思います。

たんぽぽクリニックの病床「たんぽぽのおうち」では、60代の姉妹が89歳の父親を退院させて家で看取るのか、このまま病床で看取るのかを悩んでいました。
父親のイサムさん(仮名)は、2ヶ月前から訪問診療で関わり始めた患者さんです。廃用症候群が進行していましたが車椅子や歩行器を使えば移動も可能で、キザミ食であれば自分で食べることもでき、認知症もなく、会話もできていました。
イサムさんは新卒で地方銀行に就職して支店長まで務めた叩き上げの銀行マンです。妻と娘二人という女性だけの家族の中で、大黒柱として一家を支えてきた頼もしい父親だったのでしょう。娘さんたちは結婚して実家を離れても頻繁に実家を訪れては母親をサポートしたり、父親の介護をしていたのです。

しかし、1ヶ月後にイサムさんは誤嚥性肺炎になりました。咳込みが激しく、食事も取れなくなったためにご家族は不安になり、イサムさんは家で過ごされたかったのですが、ご家族の希望で急性期病院に入院することになりました。ところが、肺炎は完治したものの多量の痰が出て、24時間吸引が必要な状態になってしまったのです。頻回な吸引が必要だと入所できる施設もなく、ご家族も介護はできないと考えたため、家に戻ることもできませんでした。そのため一旦、当院の病床に転院して、今後のことを考えることになったのです。

転院してきたイサムさんは車椅子に移乗できない程に弱っていて、絶食で1日1000mlの末梢点滴を受け、1~2時間に1回の吸引が必要な状態でした。最初は会話もできたのですが徐々に活気がなくなり、問いかけに頷きで答えるのがやっとの状態になっていきました。
イサムさんのことは全体ミーティングでも話し合われ、本人も家に帰りたいと言っていることだし、点滴を減らせば吸引回数も減るはずなので、ご家族の了解の上で輸液量を減らして自宅看取りを提案してはどうか?という意見にまとまりました。その頃はコロナ禍で面会制限を設けていた時期で、幼いひ孫さんが来ても面会は許可できなかったのです。家族がそばにいてあげられないことから、娘さんたちも父親を実家に連れて帰って看取るのか、入院を続けて病床で看取るのかと悩んでいたのでした。

医師の説明次第で決心は変わる
転院4日目、イサムさんの主治医のA医師はご家族に次のように話しました。「輸液量を減らしましたが吸引回数は減っていません。イサムさんが楽に過ごすことを最優先するなら、点滴中止もやむを得ない選択かと思います」と話した後、「退院して家に帰った場合、家族みんなで看てあげることができますが、痰吸引のために訪問看護師を呼んでも到着までにどうしても時間がかかってしまいます。到着までの間、ご家族は苦しむイサムさんを見守るしかないというストレスを感じるのではと思います。その点、入院していたら痰の吸引はすぐ対応できますが、面会が自由にできないというストレスが残ります」と説明し、「点滴を中止しても1日3~4回の吸引は必要なので、緊急訪問看護が何度も必要になると思います」と重ねて伝えたために、ご家族は家には連れて帰らず、病床で看取ると言われたのでした。私はその選択を残念に思ったのですが、翌日に驚くことが起こったのです。きっかけは病床で懐かしい方と再会したことでした。

その方は、当院の終末期の食支援「点滴をやめて、食べたいものを食べて過ごす」ということを本格的に始めた頃の患者さんの奥さんでした。なんと、その方がイサムさんの奥さんの従姉妹だというのです。これは良い機会だと思い、従姉妹さんも交えてご家族にもう一度説明してみようと試みました。
私は、従姉妹さんのご主人が今のイサムさんと同じような状態だったけれど、家に戻って点滴をやめたら口から食べられるようになり、最期まで好きなものを食べて家で過ごしたことを話した後で、次のように説明しました。「イサムさんも家に帰りたいと思い、ご家族も連れて帰りたいと思っているなら、家で看てあげたらどうでしょう。今の輸液量は200mlですが、それを続けても余命は2週間程度、点滴をやめたら1週間程度です。どんな最期を迎えさせてあげたいかをもう一度考えてみてはどうでしょうか。家に帰ったら、会わせたい人にも自由に会わせることができますよ」と話した上で、「最期の3日間」という私のエッセイのコピーを渡して説明しました。これは「母親を自宅で看取りたいが、3日しか仕事を休めない」という娘さんのために病床で母親を預かり、死期が近づいた時点で退院して自宅で看取ったというエピソードです。話し合いの途中からご家族の意思が変わり始めたのが表情で分かりましたが、話し終える頃には「点滴を中止してください。家に連れて帰ります」と決心されたのでした。

重視するのはリスクか安心か?
実際、イサムさんは自宅に帰ってからも吸引が必要でした。しかし、入院中に看護師が指導して娘さんたちは口腔内なら吸引できるまでになっていましたし、訪問看護師に連絡すると夜間や早朝でも駆けつけたので何も問題は起こりませんでした。
イサムさんは家に戻った途端に笑顔になり、訪問した若い研修医に握手を求めるほどに活気が戻りました。娘夫婦や孫、ひ孫など多くの家族がイサムさんの元を訪れ、とても賑やかな時間を過ごしたそうです。最期も大勢のご家族に見守られる中で旅立ちました。娘さんが「父は人が好きで、みんなが集まったら喜び、飲めや食べやと言って歓迎する人でした」と言われていたので、大勢の家族に囲まれて迎えた最期は本望だったことでしょう。
A医師は自宅におけるリスクをしっかり伝え、ご家族には覚悟を持った上で家に帰る選択をしてもらいたかったのかもしれません。しかし、結果的にご家族は不安の方が大きくなってしまい、家で看取る自信を無くしました。患者さんやご家族の希望を後押しするなら、「家に帰っても大丈夫なんだ」と安心してもらえるように事例も交えて説明し、自信を持ってもらうことが大切です。医療や介護現場においては、専門職の言葉が患者さんとご家族の人生に大きな影響を与えます。ですから私は、大切なことを伝える時には命懸けで、全身全霊でもって伝えるようにしています。

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