著者:永井康徳
90歳のキョウコさん(仮名)は市内の急性期病院の循環器内科から紹介された女性患者さんです。心不全が増悪して病院の主治医からは入院を勧められたのですが、キョウコさんは積極的な治療を希望されず、娘さん家族と暮らす自宅での療養を選択されたのでした。キョウコさんは心不全だけでなく、慢性腎不全や大動脈狭窄症も併発し、少し動くと頻脈や息切れがするものの、身の回りのことは自分ででき、自宅内なら歩行車を押して移動することもできます。娘さんが仕事で留守の時には、娘の助けになればと台所で簡単な調理もされていました。
認知機能に問題もなく、私たちが訪問すると「寝たままでは失礼なので」と、ベッドから起き上がって居間まで移動し、椅子に座って迎えてくれるような気配りをされる女性でした。また、「この人」と思った医師をとことん信頼し、慕うという可愛らしい一面もある方で、急性期病院の主治医と私はキョウコさんのお気に入りだったようです。病院主治医のことをよく話題に出しては褒めていましたし、訪問診療でも「永井先生でないと意味がない」と、私が休みの日に代わりに訪問した医師が処方した薬は飲まないほどの徹底ぶりでした。
初回の訪問診療時にキョウコさんの人生会議を行いました。「今は状態が安定していますが、腎機能が悪化した時や食べられなくなった時にはどうされたいと思っていますか?」と尋ねたところ、キョウコさんは症状が悪化してもなるべく入院はしたくない、腎不全が進行しても透析は希望しない、食べられなくなっても点滴等はせずに自然なままで看て欲しいと言われたのでした。これらのことはカルテに記入しましたが、この希望はあくまで今の時点のもの。心身の状態が変化したらその都度、人生会議を開いてキョウコさんとご家族の考えや希望を伺うことが大前提でした。
大きな変化もなくキョウコさんは自宅で療養をされていましたが、初診から1年を過ぎた頃から食事が取れない日が続くようになったのです。
「母が何日も食事を取れていないし、しんどそうなので診にきて欲しい」と訪問予定のない日に娘さんから連絡がありました。私が不在だったので他の医師が往診に伺うと伝えると、「母が永井先生が良いというので、明日まで待ちます」と言われたため、翌日、私が往診に伺いました。すると、キョウコさんはベッドに寝たままで「先生を待っていました。しんどいです」と弱々しい声で言われたのです。食べようとしても少ししか喉を通らない、水分も取れない、ちょっと動いただけでも息が切れてしまうなど、今までとは違うキョウコさんの状態に娘さんも危機感を抱いていました。そして、キョウコさんが寝たきりの状態になってしまったので、娘さんは仕事で留守にする時間帯をどうしたものかと悩んでいました。
そこで私はキョウコさんが信頼している病院の主治医に、今の状態を一度精査してもらってはどうかと提案しました。キョウコさんも「今のままでは娘たちに迷惑をかけてしまう。以前、病院の先生も熱心に入院を勧めてくれていたので、入院したい」と言われたのです。
私は帰院するとすぐに、キョウコさんの病院主治医に相談と受診予約の連絡をしました。すると主治医から「在宅医療に移行する前に、さんざん入院を勧めたにもかかわらず拒否された。それなのに入院したいとは、本人は本当にその気があるのか?」という連絡があったのです。「入院の意思は確認済みです」と連絡をしても「1年前、何度も入院を勧めたのに嫌だと言っていたので、今回の入院の受け入れは難しい。受診をしても利尿剤の注射を打って帰ることになる」と言われたのでした。私は主治医と直接掛け合って、「入院の受け入れが困難でも、今後の方向性を決めるためにも診断をしていただく」ということで、翌日に外来受診の予約を取ったのでした。
外来受診の後、娘さんから「病院の先生には、『入院しても高齢だから手術ができるわけでもないし』と軽くあしらわれた感じで、利尿剤の点滴だけ受けて帰りました」との連絡がありました。診療情報提供書には「検査の結果、心不全の増悪が認められるが、本人は延命の希望もなく、以前から自宅療養を希望されていたので、お看取りを含めて引き続きご自宅での療養をお願いさせていただきました」とありました。キョウコさん本人は入院を希望していたにもかかわらず、入院させずに自宅で看取るように勧めたということでしょう。
次の日、私はキョウコさんの元を訪れました。1年前はあれほど入院を勧めていたのに、なぜ今回は入院させてもらえないのか? その理由がわからず、キョウコさんも娘さんも大変気落ちされていました。なんでも、主治医と娘さんが話しているとき、急に主治医の機嫌が悪くなったのだそうです。信頼していた医師にそのような態度を取られたことに、「私が何か言ってはいけないことを言ってしまったんだろうか」と自分を責めるキョウコさんが不憫でなりませんでした。
そして、この事態を受けて、キョウコさんやご家族が、今後どうしたいと思われているかを確認するために再度人生会議を開きました。キョウコさんは初診時とは違い「どこでもいいから、入院したい」と言われたのです。「自分のことも家族のことも何もできない自分が家にいたら、家族の迷惑になるから」とも言われました。
娘さんには別の部屋で気持ちを伺いました。このまま食べられない状態が続くと、数日で亡くなる可能性があることを告げ、看取りの際の心構えなどを看取りのパンフレットを使って説明したところ、「本人は家族の迷惑を考えて入院と言っているが、本心では自宅で過ごしたいと思っていると思う」と言われたのです。そして、「1週間位なら仕事を休んで家族で交代しながら介護します」と覚悟されていたのでした。
その日は金曜日だったので土日は訪問看護を利用し、介護が長引きそうなら、週明けにでも当院の病床に入院するという段取りにしました。しかし、キョウコさんは入院することなく、月曜の早朝、ご家族に見守られながら息を引き取ったのでした。
キョウコさんは当初の希望通りに最期まで自宅で過ごせたので、その点はご家族も後悔がないのではと思います。しかし、亡くなる4日前に信頼していた医師に理由もわからないままに邪険にされた時の心情を思うと、気の毒で憤りさえ感じます。
人の気持ちは変わるものです。特に病人や高齢者であれば、心身も変化しやすいですし、家族の負担も考えるのでなおさらです。「家族に迷惑をかけたくないから入院したい」という患者の思いを「以前、断ったから受け入れない」と言うなら、誰のための医療なのでしょう? 気持ちはいつでも変わっていい。どこであろうと、本人と家族が納得できる選択ができるように支援する医療でありたいものです。