著者:永井康徳
昨年末、妻の父が亡くなりました。妻の実家での自宅看取りでした。
86歳で亡くなった義父が最初に脳梗塞を起こしたのは28年前のことでした。まだ新婚で、私の長男が生まれた年でもあったので、よく覚えています。私は地元の愛媛大学医学部を卒業後、僻地医療に従事したいと考えて自治医科大学の地域医学教室に入局し、大学時代から付き合っていた妻と結婚しました。その後、高知県の山奥にある病院に勤務したのですが、私が長男であることから数年後には愛媛県に帰ろうと考えていました。そんな折に義父が脳梗塞を発症したのです。同時期に実父も心筋梗塞を起こしたこともあって、予定を早めて愛媛県に帰ろうと夫婦で話していたところ、「明浜町国民健康保険俵津診療所の先生が病気で亡くなられ、困っている」と町の方から依頼があり、研修終了を早めて赴任したのでした。この診療所こそ、私に在宅医療のやりがいと面白さを教えてくれた場所であり、後に当院の分院、たんぽぽ俵津診療所になった診療所です。実父と義父の病気がきっかけで今の私やゆうの森があるのですから、人生とは不思議なものです。
義父は大工の棟梁をしていて、脳梗塞発症後も建設会社の社長として多くの大工を仕切って仕事を続けていました。しかし、70代で脳出血を発症してからは徐々にADLが落ちていき、80歳になる頃には介護が必要な状態になってしまったのです。もちろん、たんぽぽクリニックから訪問診療も行うようになりました。
義父は義母との二人暮らしでした。市内に私の妻や妻の兄妹が住んでいて、休みの日に手伝いには行けるものの平日は皆それぞれに仕事があるため、義父母宅はほぼ老老介護だったのです。義父は職人を束ねる棟梁だけに家庭においても亭主関白で、家のことは義父が決めて家族はそれに従うという家庭でした。要介護状態になっても義父の気質は変わることなく、義父が望むように義母は一生懸命に尽くしていました。そのために義母の負担が増え、介護中に骨折をして入院したこともあります。
平日は訪問ヘルパー、訪問リハビリや看護などの訪問系のサービスをフルに利用しながら、高齢の義母が寝たきりの義父を介護し、休みの日は娘や息子が介護をするという日々を送っていました。しかし、昨年の11月末に義父は発熱し、食事が摂れなくなってしまいました。誤嚥性肺炎を起こしていたのです。そこで、たんぽぽクリニックの病床に入院して治療をしたところ熱も下がり、言語聴覚士が食事姿勢の調整をすると全粥やスープといったものなら、口から十分な量が食べられるほどに回復しました。とはいえ、自宅に戻るとまた誤嚥性肺炎を起こす可能性があります。それでも義父自身が「家に帰りたい」というので、12月中旬に退院することなりました。
退院前カンファレンスでは、義父が今後また食べられなくなったらどうするか?ということについても話し合われました。義父の意思は、訪問診療でも何度か確認していました。病気の後遺症で嚥下力に問題があり、誤嚥性肺炎を何度も繰り返した義父ですが、「胃ろうは嫌」と毎回言っていました。今はもう認知機能が低下し、明確な意思を確認できない状態になってしまいましたが、以前から父親の意思を知っていた私の妻や義妹は、カンファレンスでも「食べられなくなっても胃ろうはしない。食べられるだけ食べて自然に看ていきたい」と心を決めていました。
このカンファレンスだけでなく、「義父が食べられなくなったらどうするのか?」ということを何度も妻の家族と話し合ってきました。その際、妻と義妹の意見は「胃ろうはしない」と一貫していました。義母と義兄はそのような話し合いから一歩引いた感じで、特に意見を言うことはありませんでした。
退院からほどなくして、義父の容体は悪化し、多量の痰が出るために吸引が必要になりました。ついに「食べられない」という時が来てしまったのです。ここで私はもう一度、家族の意思を確認しておきたいと思いました。というのも、実は妻も義妹もゆうの森で長年働いていて、最期に点滴や胃ろうをせずに自然に看ていく自宅看取りの症例を何百例と見聞きしています。一貫して意思が変わらない二人を見ていて、もしかしたら「胃ろうをした方がいいのでは?」と思う気持ちがあっても、知識が多いだけに「胃ろうを造らずに自然に看ていく方が良いのだ」と迷う気持ちを打ち消してしまっているのではないか?と心配になったのです。もしそうなら、義父が亡くなった後で妻や義妹はきっと後悔してしまう・・・そう考えた私は、義母、妻、義兄と義妹の4人と再度、義父の人生会議を行うことにしました。
私は今の義父が取り得る4つの選択肢を、義母や義兄にもよくわかるよう紙に書いて説明しました。
① 胃ろうを造る → 入院が必要
② 当院の病床に入院して、食支援を再度行う → 入院が必要
③ 自宅で今の点滴を続ける → 自宅でも可能だが、介護不足で長期は難しい
④ 自宅で点滴をやめて自然にみる → 自宅。1週間~10日で亡くなる可能性がある
そして、今の義父なら、ぎりぎり胃ろう造設手術ができること、胃ろうを造っても亡くなる可能性もあるし、注入などの介護の問題もあるけれど、胃ろうから栄養を摂ることでまだ生きられたり、回復して、また口から食べられるようになるかもしれないと話し、「胃ろうを造るなら、今が最後のチャンスで決断するなら今しかないよ。本当に胃ろうは造らなくていいの?」と妻と義妹に尋ねました。さすがに二人ともすぐには言葉が出てきませんでした。父親とはいえ、自分ではない他人(ひと)の命です。他人(ひと)の生き死にを選択する決断には、大変な重圧がかかります。
しばらくの沈黙の後、妻が言いました。「お父さんは、入院は嫌だ、ここ(自宅)がいいとずっと言っていた。胃ろうの手術や食支援のような生きるための入院であっても、もしも入院中に亡くなるようなことになったら、そっちの方が後悔が残ると思う」。この言葉に義妹や義兄、義母も納得したようでした。そして、入院ではなく自宅で診ていく方針となり、点滴は中止し、口から食べられるだけ食べて看ていくことになりました。1週間後、義父は家族に見守られながら穏やかに息を引き取りました。常に夫の状態を看ていた義母は、夫の死を覚悟したのでしょう。話し合いの後から「親戚を呼ばないと!」と言って連絡をし始め、義父は最後に多くの人と会うことができたのでした。
本人の意思がはっきりし、家族もそれを理解した上で一貫して「胃ろうはしない」と言ってはいても、突き詰めて問われると、やはり気持ちは揺れてしまうものなのです。今回、身近な存在から、そのことを学びました。揺れながらも、本人の生き方や意思を再度顧みて選択していくことが、後悔の少ない看取りに繋がっていくのだと思います。
そして、もう一つ得た教訓があります。自然に看ていくとなったものの、私は痰が絡まってしんどそうな義父を少しでも楽にしてやりたいと気管内吸引を試みました。すると、「もう吸わんといてや!」と義父に渾身の力を振り絞った声で言われてしまったのです。医療的な介入が患者のためになるわけではないことを、臨終期の義父に教えてもらったのでした。