著者:永井康徳
96歳の一人暮らしの女性のお話です。
この方はヘルパー等の在宅サービスを利用しながら穏やかに生活していました。診療に伺うたびに、「先生、自宅で苦しまないように楽に逝かせてください」と言われました。尊厳死宣言書に署名し、自分の意思を貫くために公証役場に遺言を残していました。
女性からは、状態が悪くなっても長男には連絡しないでほしい、と明確な意思表示がありました。長男さんは責任ある立場で仕事をされており、女性が連絡を望まないのは、長男の仕事に迷惑をかけたくないとの思いからでした。女性は死に向き合い、自分のことは自分で行いたいと旅立つ事前準備もしっかりされていたのです。一人暮らしで逝くためには、本人の明確な意思と自分が亡くなった後のことをイメージしておくことが大切です。
女性は徐々に食事がとれなくなり、ある日、担当ヘルパーから発熱の連絡があって往診したところ、誤嚥性肺炎を起こしていました。低酸素状態のため入院を勧めましたが、頑として入院を拒否されました。「一人暮らしですし、入院しなかったら亡くなるかもしれません」とお話ししましたが、本人の意思は変わりません。病院ではなく、家で亡くなりたいという本人の強い希望はずっと一貫し、長男さんに連絡をしないことも、あらためて強く希望されました。
往診を終えた私は、朝までに女性が亡くなっている可能性もあると思い、ヘルパーやケアマネジャー、訪問看護師などに連絡をとり、緊急時の対応を確認しました。「長男さんに絶対に連絡しないように言われているが、本当にそれでよいのだろうか?」と皆で悩み続けました。
最終的に私は本人の意思に反し、東京の長男さんに電話をかけました。すると長男さんは、「母がそんなことを言っているのですか?連絡していただき、ありがとうございます。もちろんすぐに帰ります。」と言われ、女性は長男さんと会うことができたのでした。本人が亡くなられた後、「おかげさまで母と最期の別れを果たすことができました。母は、私、嫁、息子の手を握り、『いっぱい、幸せ』と二度はっきり申したのが最後の言葉でした。」と、長男さんから手紙が届きました。
私たちは、「本人と家族にとっての最善とは何か」を最後まで追求しながらかかわることを忘れてはいけないと教えられました。本人の意思を尊重し、医療者も一緒に悩みながら、最善を探していくことが、本人・家族が最期に納得できる看取りにつながるのだとあらためて感じました。