著者:永井康徳
埼玉県の住宅立てこもり事件で、医師が散弾銃で撃たれ死亡したとの報道に衝撃を受けた。なぜ衝撃的かというと、もし当院で同じようなケースがあった場合、私たちも間違いなく患家を訪問し、同じように事件に巻き込まれていただろうと思うからだ。
亡くなった医師は在宅医療を主体とするクリニックを運営し、地域の多くの在宅患者を引き受け信頼も厚かったと聞いている。さぞかし本人は無念だったろうし、ご家族やクリニックの職員、患者さんたちの悲しみは計り知れない。
同じ在宅医療を行う立場の医師として、密室での関わりが主体となる訪問診療や看護を行う際に、今後、医療提供側が萎縮していかないかと危惧する。在宅医療では、患者さんやご家族に寄り添う医療を行っており、このような困難事例でも、何とか信頼関係を築けるように寄り添っていくことが基本だからだ。多くの患者さんやご家族とは信頼関係が構築できるのだが、ごく稀ににどんなに寄り添おうと働きかけても、信頼関係が構築できない場合がある。そのような場合にどう対応していけばよいのか、私たちにも問われれているのだと思う。
ただ、この事件では、熱心に在宅医療を行っていた医師が患者家族に射殺されたことから、在宅医療の密室性や訪問のリスクが叫ばれているが、実は在宅医療だけではなく、都会のビル診療所や新幹線や電車内、大学の受験会場など様々な所で、人生に自暴自棄になった人間が周囲を巻き込んで犯行を起こしている。私たち在宅医療を行う関係者は、このような事件に巻き込まれることがないよう安全を確保する対策を講じなければならないが、この問題は広く社会全体の問題であると思う。道を歩いていてもこのようなテロ的な犯罪に出くわす可能性があるのである。このような犯罪を犯人が企てようとした際に周囲に相談できる環境が必要であるし、私たちは最低限自分の身を守る体制を構築していかなければならないだろう。人間関係が希薄になった現代社会の中で、どうすればこのような人たちをサポートしていけるのか、私たちの社会に問われているような気がしてならない。
在宅医療を積極的に行う私たち医療関係者は、このような悲惨な事件に巻き込まれないよう、まずは自分だけで関わらずに、地域の多職種チームで情報を共有しながら関わっていくこと。そして、行政や警察、福祉関係、弁護士など地域包括支援センターを軸に地域ネットワークを駆使しながら関わること。さらに、困難事例を避けて医療・介護サービスを萎縮させるのではなく、危害を加えられる危険性を感じたときには関わりを拒否する勇気を持つことだと思う。信頼関係が構築できない場合は他の人に交代したり、地域内で代わりができる存在があることも大切だ。事件により在宅医療が萎縮することなく、できるだけ安全性を担保する対策を考えていきたい。
最後に、この事件の容疑者は死亡確認後、約30時間たった状態で蘇生を求めたという。死に向き合い切れなかった息子の姿が思い浮かぶ。「死に向き合う」ということを、患者さん・ご家族とともにどのように受けとめ、寄り添っていけるのだろうか。