たんぽぽコラム

おうちでの看取り

著者:永井康徳

  

第6回 「亡くなるまで食べる」ことの意味

神経難病で長い間在宅療養をされてきた80歳代のたけさん(仮名)は、延命治療を希望せず、自然で穏やかな最期を望んでいました。ある時、自宅で転倒し、入院中に誤嚥性肺炎を起こして食事ができなくなり、点滴をしながら頻回な吸引が必要な状態になりました。

松山に住むたけさんの娘さんは、私が書いた本を読み、「父にこんな医療を受けさせたい」とたんぽぽクリニックを訪ねて来ました。父親が、「家に帰りたい。帰れないなら死なせてくれ」と繰り返していると言うのです。娘さんは、高齢の母親に自宅で介護させるのは不安だが、このまま父親の意思に反して病院で最期を迎えさせるのは忍びないと言われます。食支援をしながら自宅に戻れるように支援することを私が提案すると、なんとたけさんは南予の病院から松山市の当院病床へ転院されてきました。

今後の方向性を皆で確認したところ、点滴や吸引をやめ、口から食べられるだけ食べて自然に看取ってほしいという意向は、ご本人・ご家族ともに明確でした。その後、点滴を中止すると、1日に10回程度していた吸引は、翌日には必要なくなりました。しかし、本人の意向とはいえ、本当にこの選択で良いのかご家族には迷いがありました。その気持ちを感じた私が、「食べたいものがありますか?」とたけさんに尋ねると、「ウニが食べたい!」と即答されました。

嚥下検査の結果は思わしくなく、食べれられる可能性はごくわずかでしたが、管理栄養士、調理師、言語聴覚士らが食べやすい柔らかさに食形態を工夫し、食べることにチャレンジしました。ウニを口に入れた瞬間、「おいしい!」というたけさんの声と笑顔に、ご家族は涙を流して喜ばれ、この選択に納得されました。

人生の終末期に食事が食べられなくなり、点滴や注入をせずに自然な看取りを行う場合、それを見守るご家族は、本人の命を縮めているのではないかという葛藤に苛まれる時があります。医療的に食べることは難しいと診断されても、ご家族には、大切な人に好きなものを味わってほしいという思いが変わらずにあります。そんな時、医療を最小限にするからこそできる食支援の取組みが、ご本人には喜びをもたらし、ご家族の気持ちも楽にするのです。たけさんはその後退院し、ご自宅で望みどおり穏やかな最期を迎えることができました。

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医療を最小限にするからこそできること