たんぽぽコラム

フリートーク

著者:永井康徳

  

第3回 出る杭は打たれる!?


私は、2000年に四国では初めての在宅医療だけを行う在宅専門のたんぽぽクリニックを開業しました。2000年というのは介護保険法が始まる年ですね。これから高齢者も多くなるし在宅医療がすごく大切になるだろうと考えたのです。在宅医療がこれからの時代、患者さんにとって望ましい医療だと思いますし、そういう医療を望む人に提供できるようにという思いで在宅専門クリニックを開業しました。

松山はすごく保守的なところで、新しいことをしようとすると足を引っ張られるんですね。皆住民は温厚で住みやすいところなんですけど、結構保守的な地域ですね。あまり目新しいことをする人はそんなにいないんですけど、私は出る杭に見られたんですね。当時開業したときに「在宅医療だけするなんて」と周りの先生から言われました。「在宅医療だけするなんて医師としては下等な医師だな」また「24時間対応なんてそんなの1人でできるわけないじゃないか、嘘ばっかりや」とか。当時は在宅医療を行っている患者さんは軽い患者さんばかりでした。ですから、「在宅専門なんか成り立たないからやめときなさい」って言われたのです。

そのころに在宅医療をしている先生が診ていた患者さんは軽い患者さんだけで、昼休みにちょっと回って血圧測って落ち着いてるねって言って回っていくような患者さんが多かったと思います。でも、自分が診ようと思っていたのは看取りの患者さんや人工呼吸器をつけていたり、神経難病など普通外来しながらでは診られない患者さんをみたいと思っていたわけです。
最初は自分たちが在宅医療専門であることを知ってもらわないといけないので、いろいろ回って行きましたが割とひどい扱いを受けました。そして、紹介されてきたのは困難事例ばかりでした。アルコール依存症で病院でハサミで看護師を刺したとか、認知症の人で訪問診療を開始したら次行った時に夜逃げしていたり、殴られたこともありますし、いろいろありました。そんなに簡単な事例は紹介されなかったですね。

そんな中で困難事例でも最初の1回で信頼関係を築くことが大切になり、信頼関係を作るっていうことが、私の中でテーマになったんです。どうやったら1回で信頼関係を築けるかっていうことを常にテーマとして持ちながらがんばってきました。最初は、家で看取ったり、人工呼吸器をつけていたり、IVH(高カロリー輸液)をしている人なども紹介されてきました。そういう人を家で看取ったときに病院の先生たちも家族も、「ああこんな人でも在宅療養できて、家で看取れるのか」と思ってくれたと思います。そして看取った後にまた「この患者さんも診れますか」と病院の先生から紹介があったり、その看取った患者さんの近所の人とか親戚の人とかがまた診てほしいと紹介してきてくれました。これまで3000名以上の方の看取りに関わらせていただきました。急には信頼を得ることはできませんが、地道に一人ひとりの患者さんを見る中で信頼関係を作ったり、周りの人も認めてもらえるような取り組みをしてきたつもりです。

最近その当時いつも困難事例をいっぱい紹介してくれたケアマネジャーから、「みんな最初は在宅医療なんて見向きもしなかったけど、今ではネコも杓子も在宅医療ですね」と言われました。当時は在宅専門でやってそういうふうに出る杭として打たれていたんですけど、今は松山市だけで在宅専門クリニックは10か所以上ありますし、20人以上看取っているクリニックも20か所以上あります。在宅医療の選択肢は大きく広がったわけです。

開業して24年経ちましたが、今振り返って考えると、自分が必要で、地域とか社会にニーズがあるものに目をつけて、それに特化する。そういう選択と集中が実を結んだんだとは思いますね。人と同じことをしないっていうことも大切な要素だったのではないかなと思っています。
でもそういうふうに人がしないことをするっていうことは、地域の中でやっぱりいろんな軋轢を生むのが現実なんですね。今でも在宅で600人の患者さんを診させていただいていますし、全国にもいろんな発信をしていますが、地元の権力者からは出る杭としていまだに批判され続けています。私も自分が病気をして、気持ちが弱くなった時もありますけど、そんな時に京セラ会長でJALを立て直した稲盛和夫さんがいった言葉に助けられました。

「動機善なりや 私心なかりしか」

この言葉に支えられました。
何かをやろうとしたときにその時は本当に善なのか、社会のためになること、自分の個人の利益のためにやるんじゃないということを確認しなさいっていうことですよね。振り返って自分の利益のためにやるんじゃなくて、自分が今からやろうとしていることが社会のため、地域のためになる。私も自分の中で何回も問うた上でそれを実践してきました。自分のためにやるだけだと1人よがりのことになりますけど、それが社会のためになり患者さんのためになるっていうことを確認しながら実践してきたつもりですね。

その時に思ったのは出る杭は打たれるけど、出過ぎた杭は打たれない。もう杭だけど出過ぎた杭になろう。そしたらむしろもう打つことができないし、それを目指すようなものになるんじゃないかなと思って、いまだにやっています。もしかしたらほんとに認められるのは死んでからかもしれませんが…。地域や社会のためになることをちゃんと自分で信じて実践して、いつか亡くなるときに良い人生だったなぁと思えるような人生を歩みたいと思っています。