「人はいずれ死ぬ。なのに、多くの患者が最期まで病院で治療を受けながら、人生の所有権や尊厳を奪われた形でこの世を去っていく。このままでいいのか」医療法人悠翔会の佐々木淳理事長(49)は朝日新聞の書評、山崎章郎著『ステージ4の緩和ケア医が実践する がんを悪化させない試み』(令和5年5月27日付)で訴えた。
ひとは住み慣れた自宅かそれに準じた居場所で人生を終えたいものである。問題は誰に介錯を任せるか、いや、望むような介錯人に恵まれるか、どうかである。わたしも何回か体験したが、ひと一人を在宅で看取るということは大変なことである。人生の足取りも、病気の種類や状態も100人100色である。看取りの前にすべき「生かすための医療から死を支える医療へ」のターニングポイント(転換点)」の見極めは容易ではない。一つ間違えれば、死なせるためだけの「見做し看取り」すなわち「医療の敗北」になりかねないからだ。
看取りへの道は峻険な登山道
在宅医療の先駆者の一人、故岡部健医師は終末期ケアを登山になぞらえた。左右が切れ落ちた険しい稜線を辿って頂上を目指す営み。道を一歩踏み誤れば、谷底に転落し、登頂はなしえない。「登頂」とは納得のいく人生の終末を達成することである。信頼できる医師は優秀な登山ガイドと似ている。登山では森林限界に達し、頂上を視界におさめると、ガイドは頂上への距離とルートを見きわめ、お客の体調や天候の見通しを総合的に考え、安心安全な登頂プログラムを組む。
「死」は人生の到達点だ。そこに導く医療は過剰であっても過少であってもいけない。匙加減は、臨床経験の長さだけでなく、人生の酸いも甘いもしょっぱいも味わい尽くしたベテランに頼みたい。85歳で訪問診療に打ち込む医師は漏らす。「若い医師には在宅看取りはできっこないし、やるべきじゃない」。ただ、そこに一理あるとしても、国は看取りの場を病院から在宅へとシフトした。2003年に100万人を超えた全国の死亡者数は2022年には156万人に達した。ピークアウトしたあとも死亡者の3人に1人は75歳以上の高齢者だ。在宅看取りを任せられる医師が増えなければ、死にゆく高齢者の多くは尊厳なき最期に到る。
在宅看取りの質を高める8か条
たんぽぽクリニックの永井康徳医師(57)によると、在宅看取りの質を高めるために必要なことは8つ。①患者・家族の不安を取り除く、②信頼関係を築く、③死に向き合う、④とことん楽にする、⑤医療を最小限にする、⑥亡くなる最期まで食べる、⑦患者のやりたいことを支援する、⑧一緒に悩み、納得できる意思決定の過程を踏むことである。これらを若い医師がこなせるか?永井医師より一回り年下のドクターに尋ねた。阿部智介医師(44)は佐賀県で僻地医療にとり組んでいる。その体験を踏まえた結論は「年齢ではなく、人間力」である。それはこういうことだ。「患者の人生や背景、環境等をしっかりと観察できて、生活を知ることができる。自分自身の価値観を無意識のうちに押し付けないようにできる。家族の思いや考えにも耳を傾けて、結果的に本人にとって最善となるように三方良しのマネジメントができる」。
これこそ「医」のプロフェッショナルではないか。こんなプロが我が国の津々浦々に根を張ってくれれば、世界一の超高齢社会でも安心して老いていける。