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最新看取り事情


第10章 亡くなる瞬間を誰かがみていなくていい・・・

■家族の揺れる気持ちに寄り添う

 斎藤幸子さんは89歳の女性で施設で暮らしていましたが、ある日、脳出血を起こして救急搬送されました。寝たきりの状態となった斎藤さんですが、一時は口から食べられるまでに回復。しかし、傾眠傾向でウトウトと眠る時間が長いために誤嚥する危険性が高く、病院では嚥下訓練も中止している状態でした。
 病院の医師は幸子さんが退院するにあたり、胃ろうを勧めましたが、幸子さんの娘さんは胃ろうを望みませんでした。そのために鼻から胃へとチューブを入れ、そのチューブを通して胃に直接栄養剤を送るという経鼻チューブで命をつないでいました。しかし、娘さんは、幸子さんにはまだ飲み込む力があると信じていたので、口から食べさせてあげたいと思っていました。
 自宅へと戻って来た幸子さんに訪問診療を開始し、療養環境の整備をしながら、今後の治療やケアの方針についてお話をしました。
 幸子さんは動く左手で経鼻チューブを抜こうとするために、左手が動かないように拘束されており、娘さんはそのことをとても申し訳なく思っていました。そこで私は「食べられるなら、少しでも自分の口から食べさせてあげられるように、リハビリもしていきましょう。でも、経鼻チューブでは、飲み込みの障害にもなり誤嚥のリスクも高くなります。様子を見て、落ち着いているようなら高齢ではありますが、胃ろうの増設をするというのも一つの選択肢かと思います」と娘さんに提案をしました。ただ、経口からある程度食べられるようになれば、経鼻チューブを抜いて口から食べられるだけ食べて、自然に看ていくという選択肢もあることも併せて説明しました。
 選択に迷う娘さんに、私は話しました。「お母さんがもし今、昔と同じように判断ができて話せるとしたら、どのように答えると思いますか?お母さんの命はお母さんのものです。家族の思いもあるでしょうが、一番尊重すべきは、お母さんの思いです。お母さんは今は自分の意思を表明できませんが、お母さんの生き方や価値観、人生観を一番よく知っているのはご家族です。お母さんの気持ちに思いをはせて考えてみてください」。それを聞いた娘さんは大きく頷きました。
 退院当初は、経鼻チューブから1700mlもの栄養剤と水分を注入していましたが、注入後、ゴボゴボと戻したり、口の中の唾液を吸引しなければならない状態でした。几帳面に注入量を守ろうとする娘さんに、「決まった通り注入しなくてもいいんですよ。元気な人でも食事がほしくないこともあります。ゴボゴボいうときは注入量を減らしたり、1回注入を飛ばしたりしてもいいんですよ」とお話ししました。
 娘さんは決断できずにいましたが、その後も何度か経鼻チューブを引き抜いてしまった幸子さんに「やはり、お母さんは経鼻チューブを嫌がっている」と思うようになりました。できるだけ口から食べさせたいという気持ちも後押しし、もし、胃ろうができるなら胃ろうにしたいと思うようになりました。

 病院に連絡し、胃ろう造設のために入院することになりました。病院の医師からは「胃ろうの増設の手術自体は簡単だが、年齢的にも手術中に亡くなるリスクはある。それに、胃ろうにしても誤嚥はする」と説明され、胃ろう造設について悩んでしまいました。娘さんは、もし今、お母さんが意思を表示できたなら、鼻の管も抜いて口から食べられるだけで、自然に逝きたいと言うはずだと思いました。
「先生、やっぱり、胃ろうは作りません」そういって娘さんは、幸子さんを自宅に連れ帰りました。それからは経鼻チューブをつけたままで、幸子さんの意識がはっきりしているときに少しずつ経口摂取をしましたが、摂取できる量はごく少量でした。むくみや嘔吐もあり、口の中の唾液の吸引も必要でした。さらに悪いことには心不全の兆候も出ていました。心臓の負担を軽減するためにも、そしてむくみや唾液を減らすためにも、徐々に注入量を減らしていったのです。娘さんは、幸子さんは経鼻チューブを望んでいないと思っていたので、経鼻チューブを抜くべきかどうかといつも私たちに相談されていました。そのたびに当院の医師や訪問看護ステーションの看護師は、娘さんと一緒に悩みました。そして「この問題に正解はありません。一緒に悩んで、本人とご家族が最も後悔のない選択を探しましょう!」と話していたのです。
経鼻チューブからの注入量を減らしていくと、むくみもなくなり、唾液の吸引をすることもなくなりました。そして、穏やかに幸子さんは旅立ちました。

 幸子さんが亡くなって1ヶ月が過ぎた頃、娘さんとお孫さんが来院されました。
私が娘さんに「よく一生懸命介護されましたね」と声をかけると、娘さんは、「今でも母は経鼻チューブを望んでいなかったのではないかと思うのです」と言われました。「考えられるすべての選択肢をお母さんの気持ちになって、一緒にみんなで悩みながら考えてきましたよね。これで正解だったのだと思いますよ。お母さんも天国でよく看てくれたと喜んでいると思いますよ」と言うと、娘さんとお孫さんに満面の笑みが浮かびました。

 人の命を左右する問題なのですから、迷ってあたりまえです。正解というものもありません。どれを選択しても、ご家族は後から「これで良かったのか」と悩むものです。大事なのは正解を選び出すことではなく、医療者側がすべての選択肢を提示し、医療・介護従事者と家族が一緒に悩むそのプロセスではないかと思います。亡くなった後に「あれが正解だったんだと思いますよ」と言ってあげられるようなか関わりができれば、家族に後悔の気持ちがよぎったときにその気持ちを打ち消し、安堵させられるのだと思います。

 


■亡くなる瞬間を誰かがみていなくていい

 当法人で企画した胃ろうと延命をテーマにした演劇と私の講演をセットにした市民向け講座でのことです。高齢で寝たきりのお母さんを介護している娘さんたちが参加されていました。「胃ろうをする選択肢もあれば、胃ろうをしない選択肢もある。大事なのは、本人がどう思っているかだと思う」という私の話を聞いた後、次女さんが質問をされました。「先生、本当は母は胃ろうは望んでいなかったと思うのですが、胃ろうを作ってしまいました。どうしたらよいのですか?」と。そこで私は「胃ろうつけられたのなら無理に外すのではなく、いい状態であれば、それを維持すること。口から食べられるようであれば、少しずつでも食べさせてあげる努力をしてはどうでしょう。痰や唾液が増えて吸引が必要になったり、体にむくみが出るようになると、それは胃ろうから注入しても体で処理ができなくなってきたサインです。喀痰吸引が不要で、むくみも出ない程度にまで、少しずつ注入量を減らしていくのがお母さんが一番楽になる方法ですよ」とお話ししました。

 その後、当院に訪問診療を希望され、訪問診療を開始しました。長女さんも次女さんもさまざまな社会活動をされていたため介護に専念できず、お母さんの介護は24時間の家政婦さんにお願いしていましたが、手厚い介護に状態は落ち着いていました。
ある訪問診療の日、「このところ無呼吸が多くなってきています。無呼吸で呼吸が止まったときにどうされますか」という話を医師がしたところ、娘さんは「自分たちがいないときに亡くなるのはかわいそうだから、急に息が止まったときはマウスツーマウス(口から直接息を吹き入れる救命救急法の1つ)をしてほしい」と言われたのです。医師は、老衰で亡くなるような状態なのに蘇生を試みることの意味やお母さん自身はどう思うのかといった話をしましたが、娘さんたちは納得されませんでした。

 このことは院内のミーティングでも議論となり、私が娘さんたちと話をすることになりました。私はまず、現在は落ち着いている状態で、この状態をできるだけ維持できるようにしていきましょうとお話ししました。そして、無呼吸はお母さんの体が脳の障害等で老化してきている症状であることも説明しました。娘さんたちは、容体が急変した場合でも病院への搬送は望んでおらず、最期は自宅で、医療処置を受けずに自然のままに看取ることを望んでいるということでした。
最期は自宅での自然な看取りを希望しているのに、なぜマウスツーマウスを希望されるのだろうと、私も疑問に思っていました。そして私は、自宅での看取りを希望されるご家族にいつもお話しすることを娘さんたちにも話しました。亡くなる最期の瞬間の話です。「息を引き取る瞬間を見ていなくてもいいんですよ。お母さんが楽に逝けることが一番大切なのです。病院や施設でも、実は最後の瞬間は見ていないことが多いんですよ」と。すると、二人の娘さんは急に大きな息をつき、「そうなんですか、先生のその話を聞いて私たちの肩の荷がおりました」と胸をなで下ろしていました。娘さんたちは、本当は母親を看てあげたくてたまらないんだけど、仕事の関係で看てあげられないことを申し訳なく思っていたようです。息を引き取る瞬間に立ちあえないことに罪悪感を感じていて、その時を少しでも伸ばして自分たちが駆けつける可能性を高めたかったのかもしれません。

 すぐにマウスツーマウスはしない方針となりました。できるだけ自然に、お母さんが苦しまず、天寿を全うできるように介護をしていく方針となりました。
「亡くなる瞬間を誰かがみていなくていい・・・」この言葉は、家族を看取ろうとしている介護者に必ず説明しておくべきだと思います。