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最新看取り事情


第9章 看取りの文化も、時代とともに醸成される2
    その人らしい最期の時間の過ごし方

■自分もこんな風に逝きたいと思えるか

 前回は、それぞれの民族や地域には、それぞれに看取りの文化があり、その文化は時代と共に移り変わっていくもの。多死社会を迎えた日本も、今、看取りの文化を時代に合わせて、醸成するべき時代がきているのではないかというお話をしました。
 今回も看取りの話を続けます。 98歳の喜久男さん(仮名)は、脳梗塞の後遺症で軽い右麻痺があり、認知症の症状もありましたが、娘さん家族と同居し、娘さんの介護を受けながら暮らしていました。ある日、誤嚥性肺炎を起こして入院したのですが、退院時には通院が困難となったため、私たちのクリニックが訪問診療を行うことになりました。
 退院前のカンファレンスでは、娘さんより今後は訪問診療で可能な治療を受け、自宅で自然に看取りたいという希望を伺っていました。嚥下にもやや問題がありましたが、娘さんがいろいろと工夫をして食べさせていて、当院の言語聴覚士が判断したところでは、トロミのつけ方や口腔ケアの方法を指導すれば、特に嚥下リハビリも必要ないだろうというものでした。
 喜久男さんは退院して半年ほどはデイサービスにも通いながら、穏やかに過ごされていました。しかし、年が明けた頃から足腰が弱り、ある日を境に立てなくなってしまいました。胎児のような姿で寝ている時間が多くなってきたのですが、娘さんは「病院に行く気はありません。これが自然な経過だと思っています」とおっしゃっり、喜久男さんが食べられるものを作って食べさせていました。
 主治医が「あと1週間くらいだと思います」とお伝えした時も、娘さんは落ち着いて受け止められ、「父は静かな良い時間を過ごしています」と喜久男さんの最後の時間に寄り添っていました。それから数日後の早朝、娘さんから「深夜1時前に息を引き取りました」と連絡があり、その日当番だった私が伺いました。
 私よりも先に看護師が伺っていたのですが、彼女は喜久男さんに初診の頃から関わっていたので、私が到着するまでに喜久男さんのことをいろいろと話していたようです。
 訪問診療に伺うと車椅子に座ってニコニコと迎えてくれていた喜久男さんからは想像ができないそうなのですが、娘さんの話では、喜久男さんは入院中、病室に尿を撒き散らすなど暴れていたのだそうです。娘さんは介護が初めてで、最初は不安が大きかったのですが、喜久男さんは自宅に帰ってからは落ち着き、穏やかになっていったそうです。
 あと1週間と言われた時、近所の神社のお祭りに合わせて孫たちが帰ってくる予定だったので、間に合えばいいけれどという心配も杞憂に終わり、子や孫、ひ孫、玄孫にまで囲まれてにぎやかな時間を過ごされたそうです。「病院だったら、父を遠くから眺めることしかできないけれど、家だったから心ゆくまで手をかけることができました」と娘さんはおっしゃっていたそうです。「だから、後悔はありません」ともおっしゃったそうです。
 「父は深夜の1時前に亡くなったのですが、息を引き取る前から父にずっと話しかけていて、亡くなった後もずっと話しかけていました」もう十分にお別れしたけれど夜も遅いので、父の横に布団を敷いて一緒に寝ました。夜が明けたので、当番シフトが代わる前にと思い連絡したんです」と。さらに娘さんからは「自宅で看取りができて本当によかった。十分幸せな時間を過ごしました」との言葉も聞かれました。
 看護師が娘さんと一緒に喜久男さんのお身体を清拭したのですが、口の中をきれいにしていたら喜久男さんのお顔がぱあっと笑顔になり、それがとても印象的だったとのことです。
 娘さんと看護師は清拭を行いながら、「お父さんは今ごろどこにいるのかな。三途の川を渡っている頃だろうか。先に行っている母に会った時に帰れと言われないようにきれいにしてあげなくては」と娘さんが喜久男さんのために準備していた聖水で、喜久男さんの全身をヒタヒタと浸しました。ご家族の思い入れのあるこのような清拭も自宅だからこそ可能です。病院だったら、家族は病室の外で待たされ、清拭が終わった途端に○時までには病室を開けてくださいと言われたことでしょう。
 最後に娘さんは「私もこんな風に亡くなりたい。看取られたい」とおっしゃったそうです。


■死に向き合うこと、不安がないこと

 このような理想的な看取りを可能にするには、少なくとも2つの条件が必要だと思います。1つは家族が(場合によっては患者本人も)死に向き合えていること。2つ目は自宅介護や家での看取りに不安がないことです。
 これらは裏を返せば、『医療従事者が患者さんやご家族にどのよう向き合っているのか』ということです。主治医が患者の死に向き合えず、予後や告知を避けていてはご家族は死に向き合えませんし、訪問診療の回数や在宅サービスが不十分だ
と、患者さんやご家族が不安を感じてしまいます。理想的な看取りを可能にするかどうかは、主治医や医療従事者にかかっているということです。
 喜久男さんは98歳で十分に生きられたからこそ、ご家族も納得して見送れたのではと思われる方もいるかもしれません。しかし、たとえ平均寿命に及ばずして亡くなったとしても、ご家族が納得できる関わり方が最期までできれば、死の受け止め方や立ち直る力も違ってくると思います。
 60代なかばの末期ガンの女性がいました。この方は「数ヶ月延命させるだけの抗がん剤治療なら受けない」と、自らの余命にも向き合っていました。その意思を尊重した娘さん、息子さんは自宅でお母さんの介護をし、死が近づいた頃にはお母さんを挟んで川の字になって寝て、意識のないお母さんを挟んできょうだいでずっと思い出話をしたそうです。すると、いよいよというときに突然お母さんが目を開け、「ありがとう」とつぶやいて、そして息を引き取ったとのことでした。
 病院では患者は医療従事者の管理下にあるため、たとえ家族であっても、最後に一緒のベッドに寝て過ごしたり、亡くなった後までずっと話し続けたりすることはできないでしょう。家族の死を医療従事者の管理下に置くのではなく、家族や親しい人たちに囲まれて、死にゆく人も見送る人も、最期の時をその人らしく過ごす・・・。
 そんな新しい看取りが、在宅医療の現場では生まれているのです。

(株式会社日本医療企画発行
ヘルスケアレストラン2017 年4 月号掲載)