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最新看取り事情


第8章 看取りの文化も、時代とともに醸成される

■最期の一息 台湾の看取りの文化

 日本だけでなく、近年では台湾でも在宅医療の気運が高まっています。現在の台湾の高齢化率はまだ12% 程度で日本ほどではありませんが、2050年には日本と同等かそれを上回る高齢化率になると予想されているからです。世界一の高齢化率となっている日本をはるかに上回るスピードで高齢化が進むため、高齢化対策は台湾にとって喫緊の課題なのです。
 現在、台湾では病院にしか在宅医療が認められていないそうです。診療報酬上、診療所には在宅医療が認められていません。それでも、急速な高齢化がもたらす医療や介護、福祉の課題を解決する鍵は在宅医療であり、この在宅医療の普及が不可欠と考える人たちは、日本の在宅医療に非常に興味を持ち、学ぼうとしています。私も一昨年前に2 度、台湾に講演で呼ばれ、台湾からも研修のために医師や看護師、介護職のグループが当法人に4度も来訪されたほどです。
 日本の病院での看取り率はほぼ80%で、世界第1位の高率であるのに対し、台湾は現在40%ほどで、住み慣れた場所での看取り率と病院看取り率はほぼ同率です。これは、1970年代の日本とほとんど同じ割合です。しかし、台湾でもすでに病院での看取り率はどんどん上昇しており、自宅や施設での看取りは少なくなってきているそうです。
 ところで、台湾には「最期の一息」という看取りの習慣があるそうです。亡くなるときの「最期一息」は家で迎える、つまりは終末期を病院で過ごしながらも、亡くなる直前に救急車で自宅に戻り、自宅で亡くなることをよしとしているというのです。この習慣の是非はともかく、これがまさに台湾の看取りの文化だろうと思うのです。
 それぞれの民族や地域には、それぞれの看取りの文化があります。そして、その文化は、時代と共に移り変わっていくものだとも思います。多死社会を迎えた日本も、今、看取りの文化を時代に合わせて、醸成するべき時代がきているのではないか、私はそのように感じています。


■最後の瞬間に医師はいらない

 ある65 歳の男性の家族から訪問診療の依頼がありました。重度の脳梗塞で、意識もなく、集中治療室に入っていましたが、本人はあらかじめ延命医療をせず最期は家で看取ってほしいという「リビング・ウィル(生前の意思)」を残していました。そこで奥さんは夫の意志を尊重し、家族と一緒に過ごせる在宅での療養を望まれたのです。
 訪問を開始して2週間経ったある日、奥さんから電話がかかってきました。「2時間前に息を引き取りました。もう十分泣いてお別れしましたので来ていただけますか?」と。
 奥さんは気丈にもしっかりとした表情で、「先生、毎日訪問して頂きありがとうございました。主人も満足していると思います」と言われました。私が「なぜ亡くなったときにお電話されなかったのですか?」と聞くと、奥さんはこう答えました。「家で亡くなりたいから家に連れて帰ったのです。最後の瞬間は私と主人だけで過ごしたかった。だから十分主人とお別れしてから先生にお電話させていただきました」
 病院では患者が亡くなると、死亡診断をすることを優先し、場合によっては家族に病室から出てもらって心臓マッサージなどの延命処置をすることもあります。さすがに在宅医療を始めてからはそんな場面はありませんが、それでも患者が亡く なったときはできるだけ早く到着し死亡診断することが医師の責務のように感じていましたから、奥さんの言葉を聞いてこれまでの考えが覆されました。
 最期の瞬間に医者はいらないということなのかもしれません。


■大往生をお祝いする看取りの文化

 私が家族で沖縄の離島を旅行したときの話です。ご存じのように、沖縄は日本でも有数の長寿県です。そして、その島の高齢者は病院ではなく、たいてい自宅で看取られるとのことでした。「この島では、老衰で亡くなると大往生できたといって、赤飯を炊いてお祝いするんですよ」と地元のタクシードライバーの方から伺いました。
 在宅医療が普及しているわけでもないのに自宅での看取りが根付いている理由の一つは、この島の「大往生なら、お祝いする」、すなわち「天寿を全うした死を肯定的に受け入れる」という住民の意識ではないかと考えます。超高齢化が進み、
死亡者が増加する多死社会を迎える日本では、このような住民の意識改革が必要になってくるのではないかと思っています。
 「治すこと」を目指して発展してきた日本の医療では、「自然のままに看取る」という選択肢をほとんど提示してこなかったのが実情です。治せる病気には当然、治療が必要です。しかし、老化や、まもなく訪れようとしている死に正面から向き合わず、本人にとってつらい治療を続けてしまうということがあります。亡くなる最後の瞬間まで点滴を続けるのは、「また元気人なるのではないか、生き続けて欲しい」という家族の想いと、「何もしないのは医療の敗北だ」と考える医療者の意識の、双方のなせる結果とも言えるでしょう。
 大切な人を亡くした後で、「自宅でも楽に、自然に見送るという方法があった」ということを知ったとき、「点滴をせずに楽にすごさせてあげたかった」「家で自然に見送りたかった」と家族に後悔させないためにも、医療者は本人と家族に十分な説明をし、納得して選べるように配慮する必要があります。そして、彼らの揺れる気持ちにも寄り添う、温もりのある医療や介護を途切れることなく提供していくことが大事なのです。

(株式会社日本医療企画発行
ヘルスケアレストラン2017 年3 月号掲載)