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最新看取り事情


第6回 家で看取るということ

■人はどこで亡くなるのでしょうか

 日本でも、1950年ごろは自宅で看取ることは普通のことでした。終戦間もないころまでは、実に8割以上の方が自宅で亡くなっていましたが、現代では8割以上の人が病院で亡くなり、自宅で亡くなられる方は1割程度となりました。世界でも病院で亡くなる人の割合がこれほど高い国はありません。病院で亡くなることが常識となってしまっている今の日本では、家族を自宅で看取ったという経験を持つ方は少なくなってきました。それは、医療・介護事業者にしても同じです。
 そのため、自宅で療養していても、前と同じように食べられなくなったからと言って入院させ、点滴したり、本人が望んでいないのに胃瘻(胃に直接穴を開けた栄養経路)を造ったりして栄養補給を続け、そして最期を迎える…ということが往々にしてあるようです。本人や家族が自宅で最期を迎えたいと希望されても、周りの人から「なぜ入院をして、点滴をしないのか」と言われると、家族の気持ちは揺らぎ、「本当にこれでよいのか」と不安にもなるでしょう。
 自宅で最期を迎える…。自宅で看取るためには、まず、本人と家族が、医療者を交えて納得するまで話し合うことです。そして、医療者から、その時、本人にはどのような体の変化が起こり、どう対応したらよいのかといった説明を十分にしてください。

■楽な最期とは、枯れるように逝くこと

 死も人の大切な営みの一つです。ですから、その時が来たら、人の体は楽に逝けるよう、死の準備を始めるのです。体は、どうすれば楽に逝けるのかを知っています。それは、草や木と同じ。枯れるように逝くことです。
 前と同じように食べられなくなったのなら、無理に食べなくてもよいのです。体は、楽に逝くために体内の水分をできるだけ減らそうとしていきます。そんな時、水分や栄養を無理に入れると、体に負担を掛けることになります。むくみが出たり、腹水がたまったり、痰が多くなったりしてしまうのです。
 死は人の最後の営みです。その時が近付いたら、体が求めるままに、うとうとと眠り、食べたいものを食べたいだけ口にさせてください。その穏やかな寝息を聞きながら、家族はお別れの時が近付いていることを静かに覚悟するでしょう。

■自宅で看取ることは自然なこと

 沖縄のある離島でのお話。沖縄は日本でも有数の長寿県。その島の高齢者は、病院ではなく、大抵自宅で看取られるそうです。「この島では、老衰で亡くなると、大往生できたと言って赤飯を炊いてお祝いするんですよ」と住民の方から伺いました。在宅医療が普及しているわけでもないのに自宅での看取りが根付いている理由の一つは、この島の「大往生なら、お祝いする」、すなわち「天寿を全うした死を肯定的に受け入れる」という住民の意識ではないかと考えます。超高齢化が進み、死亡者が増加する多死社会を迎える日本では、このような住民の意識改革が必要になってくるのではないかと思っています。
 「治すこと」を目指して発展してきた日本の医療では、「自然のままに看取る」という選択肢をほとんど提示してこなかったのが実情です。治せる病気には、当然、治療が必要です。しかし、老化やまもなく訪れようとしている死と正面から向き合わず、本人にとってつらい治療を続けてしまうということがあります。亡くなる最後の瞬間まで点滴を続けるのは、「また元気になるのではないか、生き続けてほしい」という家族の思いと、「何もしないのは医療の敗北だ」と考える医療者の意識の双方のなせる結果とも言えるでしょう。
 大切な人を亡くした後で、「自宅でも、楽に自然に見送るという方法がある」ということを知った時、「点滴をせずに楽に過ごさせてあげたかった」「家で自然に見送りたかった」と家族に後悔させないためにも、医療者は本人と家族に後悔させないためにも、医療者は本人と家族に十分な説明をし、納得して選べるように配慮する必要があります。そして、彼らの揺れる気持ちに寄り添い、温もりのある医療や介護を途切れることなく提供していくことが大事なのです。

■楽なように、やりたいように、後悔しないように

 当院で看取りの時期の患者を診させていただく時に必ずお話しすることがあります。それは、「楽なように、やりたいように、後悔しないように」という言葉です。昔とは異なり、今は医療が発達して、さまざまな緩和の手段があります。病気そのものや老化を治すことはできなくても、痛みやしんどさは最新の医療を用いて、とにかく楽にすることをお約束します。もし痛みがある時は、主治医に文句を言ってもらって構いません。つらいことが緩和できれば、最後にやりたいことができるように支援します。最後にやっておきたいこと、行きたいところ、家族との思い出作り、残された仕事の仕上げなど、個人個人でやりたいことはさまざまです。患者本人の最後の望みを叶えるお手伝いをしたいと思います。
 最後に、後悔しないことです。亡くなって後悔しないことはないと言われる方もいるでしょう。それでも、考えられるすべての選択肢を提示し、本人と家族にとって最善の選択は何なのか、本人と家族の思いを最優先にしながら考えることが大切です。共に歩み、共に悩みながら議論して出した結果は、「それが正解だったんだ」と本人や家族を後押しできるようにありたいとも思っています。

■すべてを受け入れる

 最近では、がんの告知をしないということは少なくなってきましたが、それでもがんが進行し、転移などの病状が悪化していくと、家族だけにその説明がなされ、患者本人は蚊帳の外になっているということがあるようです。
 また、治療効果がある程度期待できる場合は、本人に説明しても、効果が期待できない場合や治療法がない場合になると、本人ではなく家族だけに説明がなされるということが多いようです。その場合、医師から「もう治せない」とは告げられず、「良くなったら家に帰りましょう」と言われるだけで、そのまま病院で最後を迎えることになってしまいます。
 大変つらいことではありますが、もう治せないことや限られた命であることを告げられたとしたら、自分はこれからどこでどのように「生きたい」のかを考えることもできるでしょう。かわいそうだから、ショックを受けるからという優しさから、その機会が与えられずにいることが、果たして本当の意味で本人の幸せにつながるのでしょうか。

■最期までよりよく生きる

 病気がもう治らないことや、限られた命であることを患者本人が知っていれば、これから何をしたいか、どこでどのように過ごしたいか、また、最期をどのように迎えたいか…、本人の希望は分かるはずです。死と向き合うことは、本人にとっても家族にとってもつらいことですが、周りの者があれこれ推察するよりも、本人が望む「生き終え方」を、本人と話し合うことが大切ではないかと考えます。