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最新看取り事情


第5 本人の生き方に向き合う医療を目指して
    ~楽なように やりたいように 後悔しないように~

■どんな状態でも家に帰ることはできます

 30 代の男性の方でした。若くして、肝硬変、肝がんとなり、長年の闘病生活を続けていました。肝がんの末期となり、身体全体がむくみ、お腹に水もたまって、中心静脈栄養という高カロリーの点滴を受けていました。食事もほとんど摂れないため、自分の死期が近いと考えていた男性は、「死ぬ時は家に帰りたい、最期は友人たちにも会いたい」と思っており、病院の連携室を通じて、在宅医療への移行の相談を受けていました。 
 彼はもともと鉄道マニアで、いつか寝台列車のカシオペア号に乗りたいという夢を持っていました。その夢を実現させてあげたいと、お母さんと妹さんがカシオペア号の特別室のチケットを予約していたそうです。カシオペア号のチケットはプレミアチケットでなかなか手に入らないのですが、退院前にチケットが手に入ったのです。男性は病状が悪く、行けるかどうか分からないため、行けなかったら可哀想ということで、ご家族は男性にチケットのことは知らせていませんでした。しかし、退院後に調子が良かったら行かせたいと考えていたそうです。
 退院の準備が整い、明日退院という日に男性は吐血しました。食道静脈瘤の破裂でした。肝硬変の末期の症状です。入院中だったので、適切な処置を受け一命を取り留めました。
 その後状態は落ち着いたのですが、主治医からはなかなか退院の声が掛かりません。ある日、主治医が病室を訪れた時、彼は主治医に思い切って質問しました。「先生。僕は家に帰れるでしょうか?」。その時、主治医は優しくこう答えたそうです。「良くなったら帰りましょうね」。
 しばらくして、私が彼の病室を訪問した時、お母さんからその話を聞きました。その時、彼とお母さんはこう思ったそうです。「良くならなければ帰れないのなら、病状が悪くなるばかりなのでもう家へは帰れない」と。私はその時、男性と彼のお母さんにこうお話ししました。「そんなことないですよ。家に帰りたいと思ったら、どんな状態でも帰れるんですよ」。
 そして、退院が決まりました。男性とご家族の強い希望で、退院が実現したのです。さっそく、私たちも訪問し、在宅医療を開始しました。まず私たちがしたことは、点滴をやめることでした。末期の状態で水分を体で処理できないのに無理矢理点滴で水分を入れると、むくみや腹水、痰が増えるなどして、本人にとってつらい症状ばかりが増えていきます。点滴をやめると、みるみるむくみが取れ、動けるようになっていきました。腹水がたまってパンパンだったおなかもぺちゃんこになり、なんと食事が摂れるようになりました。痰が少なくなったため、痰の吸引も不要になりました。彼は、会いたかった友人たちを自宅へ招き、楽しい時間を過ごしました。仲の良い友人たちの中には、介護のために交代で寝泊まりしてくれる人もいました。
 いい時間が過ごせていましたが、やはり病状は悪化し、いよいよという時が来ました。診療に伺い、「今晩が山ですよ」とご家族にお伝えしました。
その時、ご家族からこんなお話がありました。「先生。今日は、カシオペアの特別室で旅行に出発する日だったんですよ」。ご家族はその夜、男性のベッドに一緒に寄り添い、カシオペア号で旅行している自分たちの姿を想像していました。「今頃、盛岡駅に着いているかな・・・」と。翌朝、男性は息を引き取りました。ご家族と友人たちに見守られながら・・・。
 男性のお母さんから、こんな言葉をいただきました。「先生。先生がどんな状態でも家に帰れるんですよと言ってくれた時、背中を押してくれた気がしました。あの言葉がなければ、家に帰ることはできなかったかもしれません。ありがとうございました」。
 病院で最期まで治療し続ける選択もあれば、家に帰って、やりたいことをして亡くなるという選択肢もあります。しかし、その選択肢を患者に提示するためには、医療従事者が、その先にある患者の死を避けずに、しっかりと向き合わなければなりません。さもないと、患者さんやご家族は、家に帰る」という選択肢さえ与えられないのですから・・・。男性が在宅療養の選択肢を得られずに病院で亡くなっていたとしたらどうだったでしょうか。「本人が後悔しない選択は何か」。患者本人としっかりと向き合う医療が望まれていると思います。

■楽にすることを優先してほしいか、1分1秒でも長く生きたいか

 自分が「もう治らないこと」と「限られた命であること」を理解すれば、患者自身は最期にしたいことをしようと思うのではないでしょうか。どのような場所で、どのような人と、どのような療養をしたいか、そして、どこでどのように亡くなりたいかを考えることもできるでしょう。
 しかし、先ほどの例のように、医療者に「良くなったら帰りましょう」と言われたら、どうでしょうか。それでは、もう帰るタイミングはありません。とにかく治療をし続けて、最期を迎えるしか選択肢はありません。点滴をやめてむくみが取れて楽になったり、家に帰って友人たちや家族と過ごす選択肢が提示されなかったとしたら、患者自身も家族もきっと後悔することでしょう。
 患者本人が、もう治らない病気であることや、今の衰弱した症状が「老化によって起こる自然な現象」であることを理解し、限られた命であることと向き合った時、ぜひ患者さんに「これから楽にすることを優先してほしいか、1分1秒でも長く生きたいか、どちらがよいですか?」と聞いてみてください。もし、患者さんの意思が確認できない場合は、ご家族が「もし、今、この人が話すことができたらどう答えるだろうか」と、思いを巡らせてください。もし、「楽にすることを優先してほしい」と答えた場合は、住み慣れた場所での在宅医療が有力な選択肢となり得るでしょう。そして、もし、「1分1秒でも長く生きたい」と答えた場合は、入院での加療を継続する可能性が高くなるでしょう。
 いずれにしても、ただ余命を延ばすことだけに価値を置かず、患者本人やご家族が最も幸せとなり、その人が亡くなった後で振り返って「あぁ、良い最期を迎えることができた」と思えるような、後悔しない選択は何かを考え、一人ひとりにとっての最善の選択ができるように、医療従事者は 、患者さんやご家族と共に悩むことが大切です。そして、十分に議論して出した結論について、「これでよかったんだよ」と医療従事者が肯定し、決断を下した家族を支えることも大切な役割だと思います。

■求められる「患者本人と向き合う医療」

 多死社会において私たちが直面するのは「寿命」の問題です。"治す医療"を追求し発展してきた日本の医療ですが、どんなに良い医療を行ったとしても、「老い」や「死」を避けることはできません。そのことについて、「医療」はどう対応すべきなのでしょうか。今、医療に求められているのは、「いつか必ず人は死ぬ」ということを念頭に置いて、老いや死としっかり向き合っていくことではないでしょうか。
 すべての人が、最期まで治療し闘い続けて亡くなることを求めているはずはありません。患者が避けられない死を目前にした時、残された時間をより良く生きるために私たち医療従事者は何をすべきか。そのことを患者本人と向き合って考える医療が求められています。「治療し続けた結果、死を迎える医療」ではなく、「老いや死をしっかり見据え、最期までどうより良く生きるかを考えていく医療」への転換が求められているのではないでしょうか。